神である主は、私に弟子の舌を与え、
疲れた者をことばで励ますことを教え、
朝ごとに、私を呼びさまし、
私の耳を開かせて、
私が弟子のように聞くようにされる。
今週の日曜日(4/22)の礼拝後、短く「日曜学校の教師任命式」を執り行ないました。
新年度は10名の教師が、日曜学校で子どもたち・青年たちとの関わりを担います。
日曜学校では、いろいろな楽しい地域のイベントを企画したり、子どもたちをキャンプに連れていったり、時には山登り、ハイキング、スポーツ、食べ歩き 等々、色々な取り組みがあります。教師も子どものようにはしゃぎますので、体力勝負と思いきや、それだけではありません。
何よりも大切であるのは、子どもたちに「世界のベストセラー・聖書」のメッセージを伝えることです。時にはお話しの時間を通して、時には一緒に過ごす中で、日曜学校の教師は子どもたちに聖書のメッセージを伝えます。
教師も普通の人間ですから、時として人生の困難を経験することもあります。
そういう時「今はとても聖書を教え、誰かを励ますことなんてできる状態じゃない……」と思うこともあります。そんなマイナスな状態の時でも、聖書を読んでいると不思議と内側から力が湧いてくることがあります。
宗教改革者のマルチン・ルターも、スランプ状態に陥り「もう聖書の教えることなんてできない」と思っていた時、先輩の教師から「さらに聖書を教える時間を増やすように」と促されたことがあったようです。「教えることを通して教えられ、励ますことを通して励まされ、生かすことを通して生かされなさい」というアドバイスであったということです。
このルターの先輩教師のアドバイスの的確さは、私も経験的に知っています。
試練の時、疲れている時、しぼんでいる時、一番必要であるのは
「聖書のことば」なのです。
そういう意味で、日曜学校教師の奉仕は本当に幸いな奉仕であると思います。
ガリレオ・ガリレイ、J.S.バッハ、ヘンデル、ヘレン・ケラー、エイブラハム・リンカーン、ウィリアム・スミス・クラーク、新渡戸稲造、等々……
聖書に教えられ、その言葉に励まされて、世界に影響を与えた人々は数え切れません。
今年も、聖書に内包されている宝のようなメッセージを、子どもたちと分かち合うことのできる幸いを、感謝いたします。
先日、卓球大会を開催しました
もう何年目になるでしょうか
教会に集っている方のお孫さんが
かつて使用されていた競技用の卓球台
とても使いやすいです
子どもたちは年々腕をあげています
0 件のコメント:
コメントを投稿