最近、息子と一緒にお絵かきをすることがあります。
絵を描いていると懐かしい気持ちになります。
絵を描くことは子どもの頃から好きでした。
聖書の勉強をするようになってから、ほとんど描かなくなってしまいましたが、
今でも、子どもたちに聖書の内容を伝える時に、少しだけ絵を描くこともあります。
でも、自分の絵を見て物足りなさを覚えます。
なぜか、理由はわかっています。
「平面的」なのです。
真正面から見た顔や真横から見た顔を描くことはできるのですが、
様々な角度で、色々な人物を配置したり、奥行きのある背景を一緒に描くことができません。
絵に影をつけて浮き上がらせたり、動きをつけて躍動感を出したり、
そういう絵はほとんど描いてきませんでした。
そのあたりが、本当に芸術を学んできた人との差になって現れてしまうのだと思います。雲泥の差です。
絵に関しては、いまのままでも良いかなぁ、と諦めているのですが、
聖書の読み方・紹介の仕方に関しては、学びを積み重ねていきたいと思わされています。
平面的な話は、そんなに難しくないかもしれません。
「もっと立体的に捉えることができたら良いのに」と思うことがあります。
歴史、文化、思想、言語
客観的な考察と黙想的な探求
一つの聖書箇所を学ぶにあたっても、
いろいろな角度から、いろいろな方法で、書き記された御言葉にフォーカスしていく。
そうしていく中で、ただ「理解した」というだけでなく、
聖書の言葉に内包されているメッセージが浮き上がっていくような読み方、また語り方ができれば、それは本当に幸いな学びになっていくのだと思います。
2019年は、もっともっと聖書の世界を探求していきたいです。
教会で一緒に聖書を学ぶ仲間が与えられていることは、本当に幸せなことであると思っています。
幸せな場所です。教会は。
先日のケアセンターでのキャロリングの様子
施設、社長、職員、利用者のみなさまが本当に素敵で感動しました。