2018年5月29日火曜日

ミニ登山 〜 帆掛山・梶原山 〜

先週の土曜日、約1年ぶりに教会の中高生たちと登山に行ってきました。
登山といっても、今年はミニ登山です。(ハイキングレベル)

今年の山は「帆掛山」と「梶原山」です。
標高は低い山ですが、清水を見渡せる気持ちの良い山でした。


新緑の季節ですね。生命力に溢れています。


神様は御手のわざである「自然」を通して、ご自身の存在とその英智を証しておられます。

天は神の栄光を語りつげ、大空は御手のわざを告げ知らせる。
詩篇19篇1節


紫陽花の季節でもありますね。
しっとりとした美しさ。
神様の芸術です。


山を降りるのはあっという間。
下山は大人の方がしんどいですね^^;

山はいいですね。
自分がいかに「自然不足」であるかを実感します。
神様が造られた自然の中で過ごす静かな時間を、もっと持っていきたいです。

2018年5月25日金曜日

勉強の日

依頼を受けている学びがたまってきたので、午後は家族から許可をもらい「勉強の日」にしました。

夕食後に逃げ込んだのは、東名清水インター付近のコメダ珈琲です。
アイスコーヒー1杯でゆっくり勉強をさせてもらいました。



喫茶店で勉強していると独身時代を思い出します。
夜遅くまでやっているありがたいお店で、よくここで聖書を開いていました。

さて、明日は山登りの日です。
山登り、といっても今年はミニ登山。

教会から自転車でも行ける、近くの山に行ってきます。


昨年登った浜石岳にて

私は山に向かって目を上げる。
私の助けは、どこから来るのだろうか。
私の助けは、天地を造られた主から来る。

詩篇121篇1-2節

2018年5月17日木曜日

ミルクはちゃんと来るよ

久しぶりに子育て話です。

あとひと月半で1歳を迎える息子。
「赤ちゃん」から「子ども」になってきたなぁ、と思うことが増えてきました。

それでも、まだまだ赤ちゃんらしさを感じるのはミルクを飲む前のタイミングです。
離乳食を食べた後、ミルクを飲む前の時間に、よく泣きそうになってダダをこねます。
離乳食だけでは足りず、ミルクも欲しいのです。

そんなに悲しい顔をして焦らなくもて、すぐにミルクをあげるのに……、
と親は思ってしまいますが、息子は必死で求めます。

離乳食だけでは足りない量なので、ミルクをあげなかったことはありません。
(離乳食をあげる前にミルクを冷やしておきます)
それでも、ミルクが来るのか心配している様子です。

そんな息子の姿を見ていると
「神さまの目から見た私たちも、こんな感じなのかなぁ」と思うことがあります。

父なる神様は、子どもである私たちの必要をすべてご存知で、最善のものを、最善の時に、惜しみなく与えてくださると約束してくださっています。

(神は)あなたの一生を良いもので満たされる。(詩篇103:4)

……天におられるあなたがたの父が、どうして、
求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。(マタイの福音書7:11)

でも、私たちはすぐに不安になります。
神様は必ず「最善」を用意してくださっているのに。
神様は必ず「恵み」を注いでくださるのに。

これまで、神様が必要を満たしてくださらなかったことは一度もなかったはずです。

それでも不安に思ってしまうのです。

泣く息子に「大丈夫だよ」と語りかけ、ミルクを与えます。

神様も、いつもそのような慈しみをもって、
私に必要なものを与えてくださっているのかなぁ。
そんなことを考えながら、息子にミルクをあげています。

子育てを通して教えれること、考えさせられることは沢山ありますね。

2018年5月14日月曜日

サマーキャンプ下見(西湖周辺)

今年の子どもサマーキャンプ(8/2-4)のレクリエーションの下見に行ってきました。
今年のキャンプ場は朝霧野外活動センターです。

一番使用回数の多い施設ですから、施設周辺は遊びつくした感があります。

そこで、今年は車を走らせて西湖の方まで足を運べないかと思い、調査してきました。

ハイキングコースの調査から下見がはじまりました。


木漏れ日が綺麗でした。

青木ヶ原樹海のハイキングコースです。
「樹海」といっても、すぐとなりは道路で、舗装されたハイキングコースなので安心です。
気軽に緑豊かな自然を堪能できます。徒歩で片道45分程度。ちょうど良いですね。


ゴールには美しい西湖と富士山が待っています。


お昼をまわりお腹が空いてきたので河口湖まで足を伸ばします
※河口湖はキャンプと関係ありません。


「不動」でほうとうを食しました。


幸せな気分になって午後の調査に向います。


西湖 いやしの里 根場 に到着。


以前、教会キャンプでも来たことのある場所です。


穏やかな時間。


ツツジが綺麗な季節ですね。


もっと神さまの造られた自然を味わいたいです。


縁側のある家は素敵ですね。住んでみたいです。


貸し衣裳もあるようです。色鮮やか。


旅の最後に調査のために朝霧のミルクランドへ。
ジェラートを食べてみます。
調査のために。

なんか美味しい旅だったような気がしますが、
なんとなくレクリエーションの流れが見えてきました。

キャンプ当日、子どもたちとの再訪が楽しみです^^

2018年5月11日金曜日

旧約聖書と新約聖書をA4一頁で


 明後日の日曜日の午後に「基礎教理」を学ぶクラスがあり、第一回目の学びとして「聖書」を取り上げます。日本語訳ですと2000ページに及ぶ「旧約聖書と新約聖書」を「契約」という観点でA4一枚のプリントにまとめるとどんなに感じになるかと思い、執筆してみました(参考:内田和彦『「聖書は初めて」という人のための本』)。↓色々と説明不足ですが、A4一枚に、というチャレンジとして大目に見てください^^;
 詳しくは明後日の基礎教理クラスで。

旧約聖書と新約聖書
 「旧約」とは「旧い訳」のことではなく「旧い契約」のことです。
 「新約」も「新しい訳」のことではなく「新しい契約」を意味します。
 聖書は「契約の書」です。

旧約聖書(旧い契約とは?)
 聖書は天地創造の記録から始まります。この世界を造られた神は人間もお造りになりました。しかし、人は神に背いて罪を犯してしまいました(創世記)。それでも神は人を見捨てませんでした。今から4000年ほど前、神はアブラハムという人を選んで、彼と契約(祝福の約束)を結びました。神はアブラハムを祝福し、その子孫を祝福し、その子孫を通して世界中の人々を祝福する、と約束されました。このアブラハムの子孫がイスラエルの民(ユダヤ人・ヘブル人)です。
 紀元前15世紀(3500年前)、神は、モーセの時代に国家として形成されたイスラエルの民に「十戒」を与え、契約を更新されました(出エジプト)
 イスラエルの民はパレスチナに定住すると、王政時代を迎えます(3000年前)。神は2代目の王であるダビデに対して約束を与え、契約を更新されました(サムエル記)。神は「ダビデの王位は永遠に続く」と約束してくださいました。しかし、ダビデの孫の世代になると王国は北王国イスラエルと南王国ユダに分裂してしまいました(列王記・歴代誌)。神に対する不信仰の罪の故に、北王国は紀元前8世紀、南王国は紀元前6世紀に滅亡してしまいました。
 混沌とした時代にあって神は預言者を遣わされました。預言者エレミヤは、神がやがて「新しい契約」を結んでくださる日が来るということ、その新しい契約によって「完全な罪の赦し」が与えられるという神の一方的な恵みに基づく約束を宣言しました。

新約聖書(新しい契約とは?)
 約2000年前、旧約聖書の時代に繰り返し語られ、更新されてきた約束・契約が、イエス・キリストの来臨・十字架・復活において実現しました。アブラハムの子孫・ダビデの子孫として生まれたイエス・キリストは、アブラハムへの約束の通り世界に真の祝福をもたらす救い主となり、ダビデへの約束の通りに神による永遠の支配(神の国)を実現されるお方です。復活されたイエス・キリストは弟子たちに再臨の約束と福音宣教の使命を与えて天に昇られ、聖霊を遣わしてくださいました。聖霊が、信じるひとりひとりの内に宿ることによって、神の律法が心に刻まれました。聖霊を受けた弟子たちは教会を形成し、福音をあまねく宣べ伝えるために世界に遣わされていきました。このように、かつて与えられ、更新された契約は、イエス・キリストによって成就しました。ですからイエス・キリストの登場とともに「新約聖書」が誕生することになったのです。


またまた頂いたドリンクチケットで駅前タリーズ
今日はコーヒー飲み過ぎのため
珍しくロイヤルミルクティー 

2018年5月8日火曜日

2018年 青年キャンプに参加しました

G.W.はどのように過ごされましたか?

5月3〜5日 教会の青年たちは一年に一度のJBBF全国青年フェローシップに参加しました。今年の会場は久しぶりに伊豆の天城山荘でした。


すずらん聖書バプテスト教会のトニー・エバンズ宣教師が三回の集会で、聖書の豊かな教えを取り次いでくださいました。


今年の集会テーマは「後悔しない」


「後悔しない生き方」を
聖書に登場する人物たちの
姿を通して学びました


会場に行く前に
Bakery & Table 東府や でランチ


帰りは修善寺温泉街を散策
竹林の小径にて


旅の最後に
タピオカで喉を潤す


私は勇敢に戦い
走るべき道のりを走り終え
信仰を守り通しました
今からは
義の栄冠が私のために用意されているだけです
かの日には、正しい審判者である主が
それを私に授けてくださるのです
私だけでなく
主の現れを慕っている者には
だれにでも授けてくださるのです

テモテへの手紙第二 4章7〜8節