2018年4月26日木曜日

久しぶりの「勉強の日」


今日は静岡に行く用事がありました。

(清水区も静岡県静岡市なのですが、もとも静岡市・清水市に分かれていたので、静岡駅の近くに行く場合、清水区の住民はだいたい「ちょっと、しぞーかに行ってくる」と言います)

用事自体は午前で終わったのですが、特別に妻の許可を得て、夜まで安い珈琲を飲める場所をはしごし(といっても件2件+吉野家ですが)、一人で勉強する時間を確保させてもらいました。(いろいろと宿題が溜まり気味だったので……

色々なことをひとまず脇に置き、ゆっくりと本を読み、原稿をまとめる時間は、至福の時間でした。

独身時代はこういう日を時々持っていました。今は本当に特別な日だけです。

独身時代を懐かしみながらも、息子に「おやすみ」を言いたくて、夜9時には帰宅。

息子は今日も子どもバイブルを読み、「神の国と神の義を」を歌い、就寝。

独身時代も素晴らしい時でした。

家族が与えられた今も素晴らしい時です。

ライフステージに合わせて、生活スタイルは変わりますが、神さまの恵みはその時その時に、十分にあります。

詩篇23篇 1節, 6節

主は私の羊飼い。
私は乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ
いこいのみぎわに伴われます。

まことに、私のいのちの日の限り、
いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。
私はいつまでも、主の家に住まいます。


先週は友人からチケットをいただき、
家族でタリーズに行くことができました。
再び「イースターラテ」をいただきました。


2018年4月24日火曜日

疲れた者をことばで励ますことを教え

イザヤ書 50章4節
神である主は、私に弟子の舌を与え、
疲れた者をことばで励ますことを教え、
朝ごとに、私を呼びさまし、
私の耳を開かせて、
私が弟子のように聞くようにされる。

今週の日曜日(4/22)の礼拝後、短く「日曜学校の教師任命式」を執り行ないました。
新年度は10名の教師が、日曜学校で子どもたち・青年たちとの関わりを担います。

日曜学校では、いろいろな楽しい地域のイベントを企画したり、子どもたちをキャンプに連れていったり、時には山登り、ハイキング、スポーツ、食べ歩き 等々、色々な取り組みがあります。教師も子どものようにはしゃぎますので、体力勝負と思いきや、それだけではありません。

何よりも大切であるのは、子どもたちに「世界のベストセラー・聖書」のメッセージを伝えることです。時にはお話しの時間を通して、時には一緒に過ごす中で、日曜学校の教師は子どもたちに聖書のメッセージを伝えます。

教師も普通の人間ですから、時として人生の困難を経験することもあります。
そういう時「今はとても聖書を教え、誰かを励ますことなんてできる状態じゃない……」と思うこともあります。そんなマイナスな状態の時でも、聖書を読んでいると不思議と内側から力が湧いてくることがあります。

宗教改革者のマルチン・ルターも、スランプ状態に陥り「もう聖書の教えることなんてできない」と思っていた時、先輩の教師から「さらに聖書を教える時間を増やすように」と促されたことがあったようです。「教えることを通して教えられ、励ますことを通して励まされ、生かすことを通して生かされなさい」というアドバイスであったということです。

このルターの先輩教師のアドバイスの的確さは、私も経験的に知っています。

試練の時、疲れている時、しぼんでいる時、一番必要であるのは

「聖書のことば」なのです。

そういう意味で、日曜学校教師の奉仕は本当に幸いな奉仕であると思います。

ガリレオ・ガリレイ、J.S.バッハ、ヘンデル、ヘレン・ケラー、エイブラハム・リンカーン、ウィリアム・スミス・クラーク、新渡戸稲造、等々……

聖書に教えられ、その言葉に励まされて、世界に影響を与えた人々は数え切れません。

今年も、聖書に内包されている宝のようなメッセージを、子どもたちと分かち合うことのできる幸いを、感謝いたします。


先日、卓球大会を開催しました
もう何年目になるでしょうか


教会に集っている方のお孫さんが
かつて使用されていた競技用の卓球台


とても使いやすいです
子どもたちは年々腕をあげています

2018年4月20日金曜日

「言葉」としてあらわすことについて

「バプテスト障がい舎伝道協力会」から年5回(基本的にはふた月に1回)発行されている「野の花誌」の最新号(318号)の発送が完了しました。日曜日にはJBBFの諸教会で手にとることができると思います。


現在私はこの機関誌の編集作業と校正作業を担当しています。

今回の号の「編集後記」にはこんな言葉を寄せてみました。

編集室より(野の花 318号)
「約二ヶ月ごとに、詩・説教・証など様々な原稿が集まってくることに驚きを覚えています。コミュニケーションから少しずつ「言葉」が失われているといわれている現代にあって、いまだに文字ばかりの誌面である本誌は貴重な存在であるかもしれません。考えや思いが正確に伝わるように言葉にして綴るのは容易なことではありません。しかしだからこそその営みには熟慮があり味わいがあり祈りがあります。御言葉を中心とした「言葉」を介しての交流に、不思議な豊かさを覚えている今日この頃です(浜田)。

「ブログ」を書きながら言うのも変なのですが、私は基本的に文章を書くのが苦手です。
苦手という割にはいつも長々とした文章の記された資料を用意してしまいます……。(教会の方、いつも私の学びに付き合ってくださり、ありがとうございます。特に水曜の聖研に集っておられる方々)

本当は学びの資料はアウトラインのようなものの方が良いのですが、つい準備しているうちに言葉として綴りたくなってしまうのです。しかしだからこそ苦手な取り組みなんです。
上記の編集後記で表現した通り、言葉を綴るためには労力が必要です。「誤解がないように」「正しく伝わるように」「豊かさを込めることができるように」等々考えていると、億劫になってきます。

しかしその営みを通して、右に行ったり左に行ったりしていた考えや思いが少しずつ「整理」されていきます。
そして面白いことに、言葉を綴っていくと「新しい視点」が与えられることが多くあるのです。

以前にも「コミュニケーションツール」の変遷について学んだことがありました。

聖書と精神医療 ジャーナル 第34号 p.68-78 若者の関係性とネット依存 より

90年代に流行したポケベルから始まり、PHS・携帯電話とメール、そしてスマートフォンとSNS(TwitterFacebookLINE) この 20年、若者たちのコミュニケーションツールは目覚ましい進化を 遂げてきました。ツールの進化とともに、コミュニケーションの在り方にも変化が見られます。今では「既読機能」を持つアプリLINEの普及により、若者 たちは音声電話のようにリアルタイムで、しかも音声電話とは違って時間や場所に左右されずに自由に連絡を取り合うことが可能になりました。またFacebookの「いいね !」ボタンや LINEの「スタンプ」を活用することによって、文章化をせずにその時々の思いを相手に伝えることが可能になりました。このように、若者たちの間では、「多くの友だち(深い関わりを持たない友だちも含む)と「簡単に」コミュニケーションを取ることができる環境が少しずつ用意されてきました。

聖書と精神医療 ジャーナル

本当に便利な時代になりました。

スマホやパソコンで、簡単にコミュニケーションをとることができます。

「いつでも・誰とでも」

絵文字やLINEのスタンプを活用すれば、その時の思いや気持ちも「簡単に」表現できます。私もそういった機能を、よく利用していますが。

このような時代だからこそ、伝えたい思いや考えを 、祈りのうちに「言葉」にあらわしていくという営みを大切にしていきたいと思わされています。

また「私たちの言葉」として、長い長い歳月をかけて著された「聖書の御言葉」に祈りをもって向き合い、取り組むことを大切にしていきたいと思います。

2018年4月16日月曜日

教会紹介:温かいお茶のような教会

青年会のメンバーが素敵な教会紹介文を書いてくれました。

ひとまずこのブログで紹介します^^





温かいお茶のような教会


私にとって清水聖書バプテスト教会は温かいお茶のような教会です。

まずはその温かさ。清水教会には主の愛でいっぱいの温かさがあります。

温かいお茶は体を内側から温めます。
同じように、清水教会の主にある温かさは私を芯から温めてくれます。

温かいお茶を飲むとほっとします。
同じように、清水教会にいると私はとてもほっとします。

より高い温度のお湯を用いることで、カテキンという栄養素をたくさん含んだ緑茶を淹れることができます。同じように、清水教会の主にある温かさがあることで、クリスチャンの栄養素である神様の愛をますます頂くことができます。

来た人を歓迎する時、お茶を出します。
同じように、清水教会は来る人たちをいつでも温かく迎えています。

私自身、小3の春初めて清水教会に行った時、暑苦しいくらい温かく歓迎されました。
主の愛でいっぱいの温かさがあったから、それから13年経った今も教会に神様にとどまることができています。

私は温かいお茶のような清水教会が大好きです。



2018年4月15日日曜日

恵みの軌跡を辿る旅

オックスフォード大学の教授でアリスター・E・マクグラスという神学者がいます。

マクグラスは信じられないくらいのペースで、膨大な内容の書籍を出版するので、読者としてはとても追いつきません。

もう14年も前に記された本で「 ポスト・モダン世界のキリスト教 」という本があります。最近、久しぶりに読み返してみると、「ポスト・モダン」と称される時代を捉えた、興味深い提言がいろいろと記されています。その一つですが……

物語の重要性
「最後に私は物語の新たな重要性について語りたいと思います。若かった頃の私は、キリスト教が真理であり素晴らしいことを人々に見出せる最もよい方法は、議論することだと思っていました。言い換えるとキリスト教が正しく真実であることを説得することだと思っていました。しかし今、私は福音の真理を別の方法で伝えます。私の物語を語るのです。私がどのようにして信仰をもつようになったかを話すのです。なぜでしょう。なぜなら物語はどんな議論よりもずっと面白いからです。そして物語はキリスト教が本物であることを示します。言い換えると物語には人々の人生を変え、彼らに生きるための新しい力を与え、将来の確固とした希望を与える力があるのです」マクグラス 115頁

上記のマクグラスの提言は現代的であると同時に、古典的でもあると思います。

なぜなら「 物語(Story・History)を語る 」ということは、聖書自身のうちにも見られる福音伝達のスタイルだからです。

奴隷であったイスラエルがエジプトから脱出し、約束の地に入っていくストーリー。

ヨセフやダビデ、ダニエル、エステルの生涯のような印象的なストーリー。

イエス・キリストも、難しい議論を持ちかけるのではなく、当時の人々の生活に基づいた「わかりやすいたとえ話」を用いて、福音を伝えようとされました。

福音書には、イエス・キリストがどのようにして人々に出会い、彼らを変えたのかというストーリーが溢れています。

それらは物語(Story)であると同時に歴史(History)です。

一部のたとえ話を除いて、聖書に記されているストーリーは、この世界で本当にあった歴史的な出来事の記録なのです。

聖書のメッセージは、歴史的事実の上に立脚しています。
ですから、聖書には最初から最後まで、歴史・ストーリーが詳細に記されています。

人々が福音を受け入れることができるような論理的議論をすることができる人は多くはいないかもしれません。
しかし、誰でも、クリスチャンであるなら「神が私の人生に何をしてくださったか」を証することはできます。その真実なストーリーを語ることはできます。

福音の素晴らしさを伝達するために、

聖書のストーリーを語る。

イエス・キリストのストーリーを語る。

また、キリストと出会った私のストーリーを証する。

同時に、この一年、取り組みたいのは

清水聖書バプテスト教会のストーリー をまとめることです。

教会は、今年60周年を迎えます。

宣教師によって開拓伝道が始まったのはさらに以前のようです。

私は、クリスチャンの両親の家庭で育ちましたので、赤ちゃんの頃から教会にいますが、

60年の歴史

現在32歳の私が知っているのは、その一部でしかありません。

当然生まれる前の30年間を経験していませんし、意識的に教会生活を送るようになったのは10代半ばくらいからですから、60年の歴史の三分の一くらいしかわからないわけです。

ですから、教会にいる信仰の先輩たちが辿ってきた道(歴史)を聴く必要があります。

そして、その歴史を綴りあわせていくときはじめて

清水聖書バプテスト教会のストーリーの全体像が浮かび上がっていくのです。

それは清水区(旧清水市)入江の町に建てられた教会の歴史であると同時に

御自分の民に対する 神の恵みの軌跡(奇跡) に他ならないでしょう。

どのような神のご計画と恵みが浮かび上がってくるのか、楽しみでなりません。

2018年4月13日金曜日

聖書各巻の英語表記(資料提供)

このブログの最初の投稿は2012年6月30日。

6年前。

でも、ほとんど更新していない時期が長いので、気持ちとしては「最近始めたばかり」です。いつまで続くのか・・・。週2回くらいの更新で、ゆる〜く続けていきたいです。

以前の投稿を見てみると、面白い資料をシェアしていました。

聖書66巻・各巻の英語表記と英語での省略表記を記したシートです。

誤字が見つかりましたので、直して再掲載してみます。

以下のURLからダウンロードできます。




聖書各巻の英語での表記(省略)が使えるようになると便利です。

教会で語られるメッセージをメモしたり、一人で聖書を学ぶときに聖書箇所をメモするとき、例えば「ヨハネの福音書」なら「ヨハネ」と記せば良いのですが、「箴言」や「雅歌」だと画数の多い漢字をかかなければなりません。もちろん「しんげん」「がか」でも良いのですが・・・。

英語の表記であれば

「ヨハネの福音書」は「Jn」
「箴言」は「Pr」
「雅歌」は「SS」です。

他にも・・・
「創世記」は「Ge」
「第一歴代誌」は「1Ch」
「詩篇」は「Ps」
「使徒の働き」は「Ac」
「ヨハネの黙示録」は「Rev」

一度覚えるととても楽になります。
シートを印刷して聖書に挟んでおけばすぐ覚えることができると思います。

よろしければ、ご活用ください。

良きデボーションライフを。

追記

ちなみに・・・
旧約聖書(The books of the Old Testament)の略は「OT」
新約聖書(The books of the New Testament)の略は「NT」です。

2018年4月10日火曜日

たといよろけても……

2週間ほど前から「つかまり立ち」をすようになった息子。
どんな不安定なモノにも手を伸ばすようになり、必死に立とうとします。


上手になってきたとはいえ、まだまだ不安定で、すぐによろけて倒れそうになります。
ハイハイをするようになった時以上に目を離せなくなってしまいました。

つかまり立ちをする息子を、いつ倒れても大丈夫なように、背中に手を回して見守る毎日。食事もゆっくりしていられません……。

息子が倒れても、頭や体を強く打つことがないようにと支えていると、次の聖書の言葉を思い出しました。

詩篇37篇23〜24節
人の歩みは主(神)によって確かにされる。
主はその人の歩みを喜ばれる。
その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。
主がその手をささえておられるからだ。

親が愛する子を、倒れることがないようにと支えているように。
神さまも私たちのことをいつも見守り、倒れても「まっさかさまに」倒れることがないようにと支えてくださっている。

この詩篇の言葉が真実であるということを、私も、これまでの人生で何度も経験してきました。聖書は、クリスチャンの歩みに「困難がない」とは教えていません。そういう意味で、所謂「ご利益宗教」ではありません。試練の日を迎えることもあります。涙を流す夜もあります。よろけて、倒れてしまうこともあります。しかし、神さまは、神さまに信頼する者を「まっさかさまに」倒れることのないように、いつもどんな時でも支えてくださっている、と詩篇の作者は告白しています。

私の人生においても、この御言葉はまさに真実です。

2018年4月8日日曜日

2018年度スタート

今日は教会の年度総会の日でした。2017年度の恵みを振り返りつつ、新しい2018年度の活動計画を確認しました。


楽しく資料を作る方々。


事務のプロ。

今年、清水聖書バプテスト教会は60周年記念の一年を迎えます。

60年前、一人の宣教師がこの町にきて、教会が建てられました。
(その宣教師はもう90歳を過ぎていますが、今も変わらずに各地で聖書のメッセージを語り続けています)

この一年は、60年間の神さまの恵みを数えつつ、新しい期待に思いを馳せる一年になることでしょう。

この年も、新しい方をお迎えできることを期待しています。
教会に、聖書に、賛美歌等に興味のある方、ぜひ教会におこしください。

心より歓迎いたします。

2018年4月4日水曜日

今週の聖研:新約聖書の正典性を学んで

※ クリスチャン向けの記事です。

聖書研究・祈り会に参加してきました。

現在、毎週水曜日夜の聖書研究・祈り会では「聖書の正典性」に関する学びをしています。

私たちが手にすることのできる「聖書」は、最初から一つの書物であったわけではありません。66の書で構成されており、そのうち旧約聖書は39巻、新約聖書は27巻です。今日はおもに「新約聖書がどうしてこの27巻であるのか」その歴史的背景と基準を確認しました。(いつかその学びの内容をホームページでシェアしたいです)

新約聖書が「四福音書」や「使徒の働き」「パウロ書簡」等の27巻の書で構成される書物であるということは、4世紀後半の教会会議(ヒッポ会議・カルタゴ会議)で確認されています。

古代の教会の人々が、新約聖書27巻を「聖書の正典」として確認し、受容していくにあたり、異端の攻撃やローマ帝国からの迫害の中で、教会を導く大牧者(キリスト)の声を強く求めていった姿に感動を覚えました。「どの書において最も豊かに、最も間違いなく、教会の主の御声を聞けるのだろうか」という求めと祈りの中で、27の書物が正典として浮かび上がってきたのです。

その経緯を学ぶ中で、一つの聖書のことばを思い出しました。

ヨハネの福音書に記されているイエス・キリストのことばです。

わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。
そして彼らはわたしについてきます。(ヨハネの福音書10:27)

主イエスは、ご自身の羊たち(神の民=教会)には、その御声を聞き分ける識別力が授けられていると証言しておられます。

羊が自らの牧者の声を知っており、聞き分けることができるように、キリストを信じる者たちは、キリストの声を知っており、聞き分けることができるというのです。

「どのことばがキリストのことばであるのか?」

「どの書が聖書(正典)であるのか?」

神に起源を持つ聖書を聖書として受容する特別な識別力を、神は教会に授けてくださったのです。

その教会が長い歳月をかけて、27の書物を正典として確認し、受容していきました。

そして教会はそういった過程を経て受けとった聖書の言葉によって、強められ、導かれ、豊かに建て上げられていくのです。

聖書は古い古い書物ですが、まさに「汲めども尽きせぬ泉」です。

聖書を開いて、親しむ時に、私たちは、その書のユニークな魅力と影響力に出会います。

2018年4月3日火曜日

Jr. Camp 2018 赤城

先週の今頃は中高生のみんなとジュニア・キャンプに参加していました。
今年のジュニア・キャンプ開催地は群馬県の赤城でした。

休憩含め5時間近い移動でしたが、車の中は終始ハイテンション……。
あっという間に赤城まで到着しました。


今年はお揃いのTシャツを作ってキャンプに行きました。


主催教会のスミス宣教師と記念写真。


最後は足柄SAのスタバで語らう。

キャンプから帰るのがいやになってくる。
それくらい楽しく、素晴らしい時間がそこにはあります。

次はゴールデンウィークの青年キャンプですね。

見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、
なんというしあわせ、
なんという楽しさであろう。
それは頭の上にそそがれた尊い油のようだ。
それはひげに、アロンのひげに流れて
その衣のえりにまで流れしたたる。
それはまたシオンの山々におりる
ヘルモンの露にも似ている。

主がそこに
とこしえのいのちの祝福を命じられたからである。

詩篇133篇

2018年4月2日月曜日

大沢川の桜 〜 人生の季節について 〜

大沢川を散歩してきました。

毎年、桜が咲くと、季節の移り変わりを実感します。

以前、教会の青年たちとクリスチャン精神科医であるポール・トゥルニエが記した「人生の四季」を題材に学びをしたことがありました。

トゥルニエは、人の一生を四季(春・夏・秋・冬)にたとえて、各ライフステージにおける課題と喜びを紹介しています。

「人間の生涯は絶え間ない発展の途上にあること、そして人生には誰もが必ず経験しなければならないさまざまな時期があって、そのそれぞれの時期ごとに神の計画が定められているのだ」ポール・トゥルニエ

「個々の瞬間がいくつか連なってはじめて一つの意味が生まれるのであり、それらの瞬間の連鎖が、人間をある段階から次の段階へと変化させ、その人なりの完成へと導いていくのです。人生の途上に起こる一つ一つの出来事がすべて重なって、ある一人の人間の運命が成就されるのです」ポール・トゥルニエ


新しい生命が芽生える春。
子どもから思春期を経て青年へと成長していく季節。


活動的な夏。
仕事を始め、家庭を築く季節。


収穫の秋。
葉が色づき、成熟に向かっていく季節でもある。
同時に、老いが始まる季節でもある。


人生の集大成を迎える冬。
葉が落ちて、この世界における命を終える季節。
死と向き合う季節。
経験と希望を、次の世代に引き継いでいく時。

かつて青年たちと人生の四季の学びをした時の私の季節は「初夏」でした。確か、牧師になるための神学校を卒業して、教会で働き始めたばかりの頃であったと思います。

いまは、それから約10年の歳月が経ち、結婚し、家族も与えられ、子育てが始まり・・・もう「真夏」といえる季節であるかもしれません。

最も活動的な季節です。

多くの新しい挑戦に満ちている。

だからこそ、失敗や挫折も多く経験することでしょう。

失敗・挫折を重ねながらも、味わいのある秋を、収穫の季節を迎えていくことができたら幸いです。

それぞれの季節に、それぞれの課題があり、変化があります。
同時に、神のご計画があり、神の助けがあり、神が備えてくださっている喜びがあります。

神のご計画に思いを向けながら、時宜にかなった確かな助けを経験しながら、人生の季節を春から夏に、夏から秋に、秋から冬に向かっていけることは本当に幸いなことです。


すべてのことには定まった時期があり、
天のしたのすべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、植えた物を抜くのに時がある。

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。

伝道者の書 3章1〜2節, 11節

2018年4月1日日曜日

2018年 イースター集会①

HAPPY EASTER !

今日はイースター集会でした。

最近はスーパーでも「イースターセール」を開催していたり・・・
レストランでも「イースターフェア」をやっていたり・・・

でも「本当のイースター」を経験できるのは教会だけです。




イースター礼拝の前には日曜学校でイースター子ども会を開催しました。
「教会ははじめて」という子も加わることができて、感謝でした^^

中高生クラスは久しぶりに全員集合でした。




次週(4月8日)の礼拝もイースター集会です。お気軽におでかけください。