2016年8月22日月曜日

説教要旨 帰るべきところ

2016年8月21日  礼拝説教要旨  帰るべきところ

ルカ15:11-24

11〜13節
 またこう話された。「ある人に息子がふたりあった。
 弟が父に、『お父さん。私に財産の分け前を下さい』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。
 それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。

 ルカ15:11からの有名なイエス様のたとえ話は『ある人にふたり息子があった』という簡単な登場人物の紹介と、弟息子の衝撃的な申し出をもってはじまります。『お父さん。私に財産の分け前をください』息子は生存中の父に遺産の分配を要求しました。彼は父の財産を手にすると、すぐに遠い国に旅立ってしまいました。父は息子の自由意志を尊重し、無理にはとどめませんでした。しかしこの息子は父の思いをよそに、遠い国で、父の財産を湯水のように使い果たしてしまいます。この息子の姿は神から離れて生きる罪人の姿を表しています。

14〜19節
 何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。
 それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。
 彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。
 しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。
 立って、父のところに行って、こう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。
 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』

 父の遺産を使い果たしてしまった息子は、ききんを経験します。いよいよ食べる物もなくなり、助けてくれる人もいなくなった時、彼の目には豚の餌さえも羨 ましいものとして写ります。この試練の只中で、彼は我に帰ります。忘れていた父の家を思い出し、ついに彼は家に帰ることを決断します。もはや息子として受け入れてもらえる望みはありません。でも、雇い人の一人としてなら迎え入れてもらえるかもしれません。

20〜24節
 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。
 息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』
 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。
 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。
 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』
 そして彼らは祝宴を始めた。


 20節から、驚きの展開が始まります。第一の驚きは、父が離反の息子を待ち続けていたということです。息子は変わり果てた姿であったでしょう。しかし、父には遠くからやって来るボロボロの青年が誰であるのかすぐにわかりました。第二の驚きは、父が彼を無条件で受け入れてくれたということです。父は走り寄って彼を抱き寄せました。中東の威厳ある老人は決して人前で走りません。待ち続け、走り寄る父の姿から言葉を超えた愛が滲み出ています。息子は事前に考えてきた言葉を述べますが、父は息子の言葉を途中で遮るようにして、彼を愛する息子として迎え入れると宣言します。このたとえを通して証されているのは、父なる神の無条件の愛です。この愛によって人は救われ、この愛に よって人は変えられます。神の愛(アガペー)とは、その対象に価値がある時だけに愛する愛ではありません。神の愛は、価値なき者をも愛する愛であり、愛された故にその者に価値が与えられていく特別な力を持つ愛です。(例話:ジャン・バルジャンを変えた司教の愛「レ・ミゼラブル」)この父なる神の愛こそが、私たちの帰るべき「たましいの故郷」です。

礼拝説教要旨 平和を造る者

2016年8月14日 礼拝説教要旨 平和を造る者

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。
マタイ 5章9節

1)平和から遠く離れて生きる人々
 「人類の歴史」は「争いの歴史」でもあります。20世紀前半には2つの世界を巻き込む戦争が勃発しました。太平洋戦争の38か月間、日本人も悲惨な戦争の日々を経験します。特に敗戦直前の広島・長崎への原子爆弾投下は癒しがたい傷跡を後世に残すことになりました(日本もまた世界に多くの傷跡と憎しみを生み出してしまいました)。日本は終戦を迎えましたが、いまも世界の様々な地域で争いが繰り広げられています。また新たな戦争の匂い、緊張感は常にあり、安全な国・地域は存在しません。『民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり』との主イエスの御言葉の通りではありませんか。(マタイ24

2)争いの根本原因
 20世紀の2つの世界大戦の時代を生きた説教者ロイドジョンズは、世界大戦が起こった理由、絶えず国際間の緊張があり、次なる戦争・危機・不安が存在する理由はたった一つであると断言しました。なぜ人は争うのか、その理由はただ一つ「人の罪」です。人の強欲・利己性・自己中心があらゆる問題と不一致の根本的な原因なのです。それは国家間の戦争に限ったことではありません。

3)平和を造る人
 主イエス・キリストこそ『平和を造る人』です。主は『平和の君』(イザヤ9:6)としてこの世界に来られ、その十字架によって平和を実現させてくださいました(イザヤ53:5、コロサイ1:20)。主イエスが築き上げてくださった平和は、第一に、神と人との平和でした。人の心に神の恵みが注がれ、満たされること、そこに平和造りの第一歩があり、根本的な解決があるからです。


4)神の子どもたちの生き方
 すべてのキリストの弟子たちに『平和を造る者』としての生き方が期待されています。それこそが『神の子ども』としての生き方だからです。平和は、自分を中心とした生き方から離れ、神が教えてくださった無条件の愛を選択しながら生きるところに築き上げられていきます。その道を生きることは容易ではありません。神がその道に生きる力を私たちに与えてくださいますように、主が祈られたように生きることができますように。『自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい』(マタイ5:44) 

例話:アウカ族にもたらされた愛

雨上がり





2016年8月17日水曜日

嬉しい贈り物

教会の親しい友人から
とても嬉しいプレゼントを頂きました。
エルヴィス・ブームが来てしまうかもしれません。