2016年2月24日水曜日

ヨセフ物語はいいねぇ

水曜日の夜の聖書研究会では創世記から「ヨセフの生涯」を辿っています。
いやー、いつ読んでも「ヨセフの生涯」は味わい深いですね。
教えられ、励まされ、慰められるメッセージが詰まっています。

先週、今週とエジプトに売られたヨセフのポティファルという人の家でのしもべとしての生活、無実の罪で投獄された監獄での生活の記録を読みました。

ヨセフがエジプトに来たのは17歳の時でした(37:2)。
ヨセフがエジプト王パロに仕える者となったのが30歳の時です(41:46)。

するとポティファルの家にいた期間は(しもべとしての生活・監獄での生活)、17歳から30歳の間「13年間」であることがわかります。私も丁度いま30歳なので、リアルな数字です。
赤ちゃんが生まれて、中学1年生になる位の期間です。
長い長い期間です……。

ヨセフにとってこの期間は紛れもなく試練の時期でした。
「主の時」を待つ必要がありました。
しかし、ヨセフはこの13年を単なる「不遇の時」として過ごしたわけではありませんでした。

しもべとしての日々も、監獄でも日々も、
ヨセフは主とともに生きました。
主の時を待ち続けながらも、与えられているいまという時を大切に、誠実に、積極的に生きました。

その結果、ヨセフにとって、ポティファルの家と監獄が、エジプトのどんな教育機関にも勝る学びの場(神学校)になりました。その置かれた場にあってヨセフは豊かに育まれていったのです。

ヨセフが神を求めて生きたからこそのことでもあります。
でも、その歩みの根底にあったのは、いつも変わらない神の臨在でした。

『主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた』(39:2)
『監獄の長は、ヨセフの手に任せたことについては何も干渉しなかった。それは主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである』(39:23)

今日の聖書研究会では、ヨセフが人から忘れ去れてしまうという経験をした際の記録も読みました。
『ところが献酌管長はヨセフのことをおもい出さず、彼のことを忘れてしまった』(40:23)

しかし、それでも神はヨセフを忘れてはおられませんでした。
神がヨセフを忘れてしまうということは一瞬もありませんでした。
その事実がこの後いよいよ明らかになっていきます。

人から忘れてしまうことがあっても主は決してあなたを忘れてはおられません。

ヨセフとともにおられた神が、私たちともともにいてくださいます。
その恵みの事実に励まされながら、いまという時を生きていきたいと思います^^

2016年2月19日金曜日

イースター月間

しばらくブログはとまってしまっています…。ごめんなさいm(_ _)m
でも、教会は動いています。(HPで紹介しているすべての活動がアクティブですので、ご安心ください)

教会も年度末の時期になり、一年の歩みを振り返りつつ、新しい一年に向かおうとしています。
この一年も神様の祝福は豊かでした。
ここ数年、新しく教会に来られる方が沢山いらっしゃいます。すべての出会いが神様からの最高の賜物です。本当に嬉しいです。

新たな出会いにも期待しつつ、今年も3月にイースター月間を開催します。
トップページにチラシを掲載しましたので、ご覧ください。
どなたでも大歓迎です。お気軽におこしください^^

『神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています』ローマ書8章28節より