日曜日、教会でひとりの姉の告別式(葬儀)がありました。
※ 姉=姉妹:クリスチャンは互いを「兄弟・姉妹」と呼び合います。
私も、赤ちゃんの頃からお世話になってきた姉の告別式でした。
半世紀以上も前から教会におられた姉。
日曜日の朝ごとに、教会に行けば姉と会うことができました。
実の孫のように可愛がってくださいました。
だから「もう地上では会えない」という実感が湧きません。
日曜日に教会に行けば、また会えるのでは、と思ってしまいます。
姉と、最後に教会で一緒に過ごせたのは今年の4月29日でした。
その日は清水教会にとって大切な日でした。
姉が最後に出席された集会は「牧師就任式」。
45年以上もの長い間、清水教会を牧者として導いてこられた道下師が牧師としての任を終える時、若く未熟なこの者が新たな牧者として選任される時、その時を、姉はその優しい眼差しで、しかと見届けてくださいました。
バトンを託されたような思いを抱いています。
のこされた私たちは、神に嘉せられたその信仰の歩みを、受け継いでいく必要があります。
天国での再会に思いを馳せつつ。
人の日は、草のよう。
野の花のように咲く。
風がそこを過ぎると、それは、もはやない。
その場所すら、それを、知らない。
しかし、主の恵みは、とこしえから、とこしえまで、
主を恐れる者の上にある。
主の義はその子らの子に及び……
詩篇103:15-17
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