2016年7月21日木曜日

礼拝説教要旨 エマオの途上で

2016年 7月17日 礼拝説教要旨

エマオの途上で  〜  ルカの福音書24章13〜32 〜

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 十字架にかかり、葬られたイエス・キリストが、三日目の朝に復活された日のことです。2人の弟子が、エルサレムからエマオという村に向かっていました。彼らは、この時点ではイエス様の十字架の意味を理解しておらず、復活の事実を信じることもできていませんでした。2人が一連の出来事について話している時、イエス様ご自身が近づいて、彼らとともに道を歩んでくださいました。キリストは、いつも私たちに近づいて、そしてともに歩んでくださるお方です。天の御座を離れ、人となってこの世界に来てくださる程に私たちに近づいて下さったお方です。しかし人は、このお方の存在に、その愛に気がつけないことが多くあります。

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 イエス様は何も知らない者であるかのように、2人の話題を尋ねます。そしてその質問を通して、彼らの状況を明らかにされます。2人はキリストを力のあるお方であると認めていました。しかしそのお方の復活を信じる信仰には至ってはいませんでした。それ故に2人の目は遮られ、その心は悲しみに暮れていました。死の現実を前にした私たちは、そこに解決がない時、悲しみに暮れる他ありません。

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 イエス様は2人の理解を踏まえつつ、順を追って、旧約聖書の御言葉に基づいて、ご自身の十字架と復活の意味を解き明かされました。旧約聖書に、先の時代に実現するキリストの贖いのみわざの詳細が明記されているという事実は、聖書の記述の確かさの証言でもあります。


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 夕刻、もっと話しを聞いていたいと思った2人は、イエス様を無理に引き止めます。宿にて、食卓でイエス様がパンを取って祝福し、それを裂かれると、2人の目は開かれ、いま目の前にいるお方が、復活された主イエス本人であることがわかりました。
 
 『道々お話になっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか』

 キリストとともに歩む中で、聖書の御言葉の真理に目が開かれる時、私たちの心は暖かな感動で包まれます。このお方の暖かな愛と力強い真実に触れるからです。明らかにされていく十字架と復活の真実の物語に、神の救いのご計画と永遠のいのちの希望を見出すからです。

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